安達ケ原の鬼婆伝説

福島県・安達ヶ原の鬼婆伝説とは?

恐怖の真相と、現代への系譜?

福島県二本松市の安達ヶ原。その名を聞けば、背筋がひやりとする人もいるかもしれません。そこに伝わる『鬼婆伝説』は、国内に数多ある中でも特に恐ろしい民間伝承として知られ、今なお多くの人々を魅了し、恐れられています。

鬼婆伝説の舞台、安達ヶ原とは?

安達ヶ原は福島県中部に位置する二本松市にある地名で、古くは宿場町として栄えた歴史ある地域です。しかし、この地はある伝説によって全国的に名を知られることになりました。それが「鬼婆伝説」です。
この伝説は平安時代から伝わっており、能の演目「黒塚(くろづか)」としても知られています。舞台では、鬼と化した老婆が旅の僧に襲いかかる姿が描かれ、当時の人々の恐怖心を見事に表現しています。

安達ケ原の鬼婆伝説とは?

安達ヶ原には一人の老婆が住んでおり、旅人に宿を貸すことで生計を立てていました。しかし、その正体は人を喰らう鬼婆だったのです。
ある日、旅の高僧がこの地を訪れ、一夜の宿を求めて老婆の小屋に泊まることになります。老婆が薪を取りに外に出たとき、僧が何気なく奥の間を覗くと、そこには夥しい人骨と血に染まった衣が積まれていました。驚いた僧はすぐさま逃げ出しますが、鬼婆が後を追い、もはや逃げ切れないと観念した僧が一心に経を唱えると、観音菩薩が現れ、手にした白弓で鬼婆を倒したとされています。

鬼婆の誕生秘話

鬼婆も、もとは普通の女性でした。かつて、京の高貴なお姫様の乳母でしたが、そのお姫様は生まれつき言語障害を持っていました。ある日、占師から「母親のお腹にいる赤子の生き肝を食べると治る」と聞き、生き肝を求めて陸奥までやってきました。しかし、おいそれと胎児の生き肝など手に入るわけもなく、いたずらに年月を費やしていました。
そんなある日、若い夫婦が庵を訪れ、「妻が体調を崩したのでしばし休ませてほしい」とのこと。見ると若妻のお腹は大きく膨れ、いまにも生まれそうな気配。夫に薬を求めて里に行けと使いに出し、その隙に若妻の腹に出刃を突き立て赤子の生き肝を手に入れることに成功します。しかし、虫の声で何かを訴える若妻の言葉に耳を澄ませました。
「母を探してここまできたが、恋衣は死んだとお伝えください」
恋衣とは、お婆の一人娘だったのです。
わが娘、わが孫を殺してしまったお婆は気がふれて、やがて人々が恐れる鬼婆となってしまったという、悲しい背景があるのです。

安達ヶ原のおすすめ観光スポット

恐怖の伝説が残るとはいえ、安達ヶ原は現在、観光地としても整備されています。「安達ヶ原ふるさと村」では二本松市の歴史や文化を紹介する資料館、市北部の上川崎地区の特産品である和紙作りの体験施設、明治時代初期の農家の家屋や水車小屋などがあり、伝説を文化として学ぶことができます。
また、「観世寺」には鬼婆が棲み処としていた「岩屋」や、出刃を洗ったとされる「血の池」があり、伝説の舞台を直接訪れることが可能です。宝物館には黒塚・鬼婆伝説に関する資料が展示されています。

そんな鬼婆の末裔が、現代に生きているとしたら?

安達ケ原の鬼婆の子孫であるといわれている吸血種族の青年たちが、現代社会にコミュニティを形成し、街の片隅で一般人に紛れながら、恋に仕事に奮闘する姿を描いた小説『刺咬種(しこうしゅ)』が電子書籍としてAmazonから発売中。200円(KindleUnlimitedでは無料)。

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